東シナ海に沈む夕日が心を染める鹿児島・日置。
この美しい地で原酒造りから熟成、
ブレンド、ボトリングまで行う、
クラフト・ジャパニーズウイスキーKANOSUKE。
焼酎蔵からはじまり、ウイスキー造りに挑む。
東シナ海に沈む夕日が
心を染める鹿児島・日置。
この美しい地で原酒造りから
熟成、ブレンド、ボトリングまで行う、
クラフト・ジャパニーズウイスキー
KANOSUKE。
焼酎蔵からはじまり、
ウイスキー造りに挑む。








TERROIR

温暖な気候、豊かな自然。
嘉之助蒸溜所が位置するのは鹿児島県の西岸、東シナ海に面した日置市。
目の前には“日本三大砂丘”のひとつ、南北約50kmもの長さを誇る吹上浜、背後には矢筈岳(やはずだけ)など深い山々が広がり、シラス台地に磨かれた伏流水が潤沢。温暖かつ豊かな地の利に恵まれています。

ウイスキーの熟成が
早く進む環境。
しかしその穏やかな風景も、冬になると一変。海面から強風が巻き上がり、0℃近くまで冷え込みます。
こうした激しい寒暖差によって熟成が早まり、通常10〜20年かかるピークが前倒しで訪れます。そのぶん、樽からの蒸発も多くなり、「天使の分け前(※熟成中に自然に失われるウイスキー)」が増えますが、短期間で個性が出やすく、新たな挑戦がしやすい環境とも言えます。

個性ある樽を育む、
KANOSUKEの熟成庫。
温度変化の少ない半地下から、潮風が吹き抜ける海辺まで
日置の風土を活かし、蒸溜所の程近くに
多様な熟成環境を整えています。
同じ土地で造られることで、軸はぶれることなく、複雑で多彩な味わいのウイスキーが生み出されるのです。



HISTORY

それは、神に捧げる
酒造りから。
歴史をたどること1883年(明治16年)。焼酎蔵「日置蒸溜蔵」として、町内の八幡神社のために御神酒造りを行っていた小正家。のちに初代・小正市助が「小正商店」を立ち上げ、当時高級だった米を使った焼酎造りに専念しました。

2代目・嘉之助の描いた夢。
2代目・嘉之助は、1918年(大正7年)生まれ。29歳で戦地から帰還し、焼酎造りに参加。当時の「安価で粗悪な酒」という先入観から脱却すべく、国内外の蒸留酒造りの技術
を熱心に学びます。
そこでウイスキーを始めとした世界の蒸留酒が、長い熟成によって深い味わいを得ることを知り、1957年に米焼酎をオーク樽で6年間寝かせた「メローコヅル」を世に送り出すことに成功。
さらに「日本一夕日が美しい土地」に専用蒸溜所を建て、鹿児島の蒸留酒文化を世界へ広めたい」との想いから、吹上浜のほとりに理想の地を入手しました。

「世界の共通言語」
ウイスキーへ。
4代目・芳嗣は、そんな祖父の意思を受け継ぎ、焼酎の海外への輸出に積極的に取り組みました。一定の成果は残したものの、焼酎そのものの認知が未だ限定的。そこで同じ蒸留酒でも「世界の共通言語」であるウイスキーに可能性を見出し、各地の蒸留所を巡りながら、研鑽を積みます。
そして2017年、祖父が残した土地に、彼の名前を冠した「嘉之助蒸溜所」を創立。世代を超えた夢をかなえるための一歩を、ついに踏み出したのです。
世界に通用するウイスキーを造ること、それは鹿児島の蒸留酒文化を世界へ広めることにも繋がる、と信じて。



CRAFT

繊細な香味を得る、長時間発酵。
進化し続けるジャパニーズウイスキーKANOSUKE。その製法は伝統と革新を融合させた、地道で前向きな探求から生み出されます。
まずは仕込み。粉砕した麦芽を糖化して、麦汁を回収し、酵母を加えて発酵。リンゴや洋ナシなど果実の繊細な香味、まろやかな味わいを得るため管理を徹底し、ゆっくり時間をかけて行います。

多様な技が生む、新たな味わい。
クラフト蒸留所では世界的にも珍しいネックの形状、ラインアームの角度が異なる3基のポットスチルを使い分けながら蒸留。
さらに焼酎リチャー樽やバーボン樽など多様な樽を、異なる場所で熟成。原酒造りからこだわり、さまざまな技術や環境を駆使することで、新たな味わいを引き出しています。

蒸留酒造りのプロとして。
すべてにおいて心がけているのは、発酵・蒸留プロセスに注意深く向き合うこと。季節や気候に合わせて細やかに調整すること。設備は正統ながら独創的な発想で、新しい試みに挑戦すること。 これは蒸留酒造りのプロとしての姿勢であり、私たちが持つゆるぎない信念です。