


穏やかな表情を見せることの多いこの海は、特に大陸からの北西風が吹きつける冬の日などには、表情が一変します。“吹上浜”の名は、砂が季節風で吹き上げられることに由来するとか。海面から強い風が巻き上がり、蒸溜所一帯も海からの細かな飛沫で真白な霧に包まれるのです。夏は暑く、冬には0℃近辺まで冷え込んで雪が舞うことも珍しくない、寒暖差のある土地柄。そして海からの風。高い技術で蒸留を行う嘉之助蒸溜所のウイスキーは、この土地の特徴的な風土のなか、厳密に温度管理された貯蔵庫で旅立ちの時を待ちます。
標高:
約7m
年平均気温:
16.9°C*
年最低気温:
-4.0°C**
年最高気温:
35.1°C**
年日照時間:
1991.8時間**
年降水量:
2033.0mm**
*1981~2010年 気象庁東市来統計
**2017年 気象庁東市来統計より








OUR HISTORY

1883年
それは、神に捧げる
酒造りからはじまった。
「嘉之助蒸溜所」の母体である焼酎蔵「日置蒸溜蔵」は、吹上浜や緑深い山々を擁する日置市日吉町と古くから縁があります。創業家の小正家は、もともと日吉町・八幡神社の御神酒造りを行っていました。地元の風土と歴史に根ざしながら、家族は時代の変化を乗り越え、常に革新を追求してきたのです。

1957年
世界初、樽熟成焼酎の誕生。
1918年(大正 7年) 生まれの2代目・小正嘉之助。 29歳で過酷をきわめた戦地から帰還し、焼酎造りへ心血を注ぎ始めます。 当時、焼酎には、安価で粗悪な酒という先入観がつきまとっていました。 嘉之助はそこからの脱却を目指し、国内外の酒造方法を熱心に学びます。 そして、ウイスキーを始めとした世界の蒸留酒が、長い熟成期間によって深い味わいを得ることを知るのです。試行錯誤の末、嘉之助は米焼酎をオーク樽で 6 年間寝かせた日本初の長期熟成米焼酎「メローコヅル」を世に送り出すことに成功しました。

1975年
二代目が残した夢。
日置市日吉町神之川。嘉之助蒸溜所が建つこの地は、嘉之助の決断で昭和50年代に入手したものです。当時、嘉之助が描かせた絵には、彼が神之川に、「メローコヅル」専用の蒸溜所の建設を思い描いていたことが見てとれます。右側に見える貯蔵庫の建屋はほぼこの絵の通りに完成し、「メローコヅル」は穏やかな海を眺めるこの地で貯蔵・熟成されてきました。

1998年
受け継がれた、情熱と技術。
長年、焼酎造りに携わってきた私たちにとって、鹿児島の文化である焼酎を世界に届けるのは大きな願いです。特に3代目・芳史が就任して以降は、海外にも重点を置いてきました。しかしメローコヅルをはじめとする焼酎が世界で大きな賞を受けるなど、業界的な評価を確立した一方、海外での焼酎の広がりは、日本料理店で提供される程度で、まだまだ限定的です。良い酒が世の中に伝わりきらないもどかしさを抱えて蒸留酒を見渡したとき、世界的に愛される「ウイスキー」の存在を意識するようになりました。 大学院で専門的に醸造について学んだ4代目・芳嗣が中心となり、熟練の蔵人たちとともにスコットランドをはじめとする世界各地のウイスキー蒸溜所に足を運び、見聞を深めました。

2017年
祖父の意志を継いだ、
ウイスキー蒸溜所。
革新を恐れず、人々に喜んでもらえる酒造りに邁進した 2代目・嘉之助の名前にちなんで、この新しいウイスキーの蒸溜所を「嘉之助蒸溜所」と命名しました。 かつて小正嘉之助が、焼酎を熟成させることで更なる深い味わいを求めた時のように、私たちは世界で通用するウイスキーを造りたい。 それを人々に届けることは、同じ技術で造られた焼酎を世界に伝えることにもつながると信じています。

2021年-
世界を変える、
ジャパニーズウイスキーを。
2021年に嘉之助蒸溜所は、飲料ブランドの構築および拡大を図る起業家を支援するアクセラレーターであるディスティル・ベンチャーズ 社と提携しました。 同社のプログラムを通じてディアジオ社からの出資が行われ、国際的な販売網の拡充やマーケティングの強化、積極的な新製品の開発が可能となりました。 ディアジオ社が日本のウイスキーメーカーとパートナーシップを結ぶのは初めてのことで、「ジョニーウォーカー」や「スミノフ」など、多くの卓越したブランドを保有するディアジオ社からの後押しを受け、嘉之助蒸溜所は国内外で支持されるKANOSUKEブランドを目指しています。